とある日の
外勤昼飯
中華の野菜炒めです
週末も働き詰めになっておりました。
昼ご飯で一息ついたところですね。
当ブログのご意見番であるMarshal 先生からいただいたコメントです。
いつも貴重なコメントをありがとうございます!
勉強ができる子はそちらの方面へ行けば良いだけですし、スポーツや音楽が得意な子供はそれを活かす事が重要なだけなのですが、今までは芸術やスポーツの世界で食べて行けるのは極一部の人間だけだったので、勉強が最重視されて来ただけだと思います。
インターネットや AI の発達によって、これからは多様な才能が認められたり、経済的にも成功できるようになるのでしょうね。
なんでもかんでも、親の経済力による教育費格差が学力格差になっているというのは間違っていると思います。
お金で東大や医学部へ行ければ、お金持ちの親は苦労しません。
たった 2 ヶ月で 160 万回も視聴されているとか、
5 年間で 1,229 万回も視聴されているとか、
1 年間で 1,841 万回も視聴とか、充分に暮らして行けるのではないでしょうか?
むしろ、それぞれの子供たちに適した道で生きて行けるようにする方が良いのに、勉強ができないと劣等生扱いしてコンプレックスを植え付ける方が問題でしょうね。
その通りですね。
学力という尺度は分かりやすいのですが
それだけを評価すれば、勉強という範疇に適合できない子を伸ばすことはできません。
勉強以外にも、子供の可能性や好みを見つけてあげられるよう環境にしてあげる努力は必用でしょう。
それは文化資本であったりスポーツであったりすると思うのです。
もちろん、それが開花する保証もないのですが
そこから何かしらかの自信や、やればできるという自己肯定感を発掘することにつながる可能性が生まれると思う。
子供の頃、ピアノやエレクトーンに触らせることも習わせることも楽器を買ってあげることのいずれもしなければ、ピアノやエレクトーンが好きになったり上手になったりする確率は低い。
自分は子供の頃、文化資本に恵まれない環境で、ピアノを習うということの意味が全く理解できなかった。
まあ
自分の場合、習っていたとしても開花する可能性は果てしなくゼロに近いわけですが・・・
息子君は自分とは全く違って、ピアノ大好きです。
仕事をしていると時々
「パパ、聴いて」
と演奏してくれます。
こうした小さな幸せが嬉しいし
息子君の可能性を見つける手助けはしたいなと思う。