寝当直医の資産防衛

医師は金持ちではないと気付いてから、資産防衛(金、不動産、ドル転など)と資産運用(貯株、投資信託など)をおこなっています!元寝当直医の奮闘ぶりを赤裸々に告白するとともに、再現性のある資産防衛手法をご紹介しますね。

収入の変化を見越して資産形成する手段を確立する

とある日の

 

新幹線

 

ドクターイエローを見ることができました!

残念ながら自分一人だったので、息子君は見ることできませんでした・・

 

 

 

Marshal 先生からいただいたコメントです。
大変貴重なコメントをありがとうございます!

旧華族の資産構築ならびに投資手法について調べていたのですが、なかなか参考になりますね。


吉川子爵家の資産増加と投資手法は、じっくり読み込むと色々と参考になる点が多いです。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/rekishitokeizai/57/2/57_KJ00009777961/_pdf/-char/ja


細川侯爵家と鍋島侯爵家も研究されていますね。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/tochiseido/29/4/29_KJ00005119598/_pdf

http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/21244/KJ00005114404.pdf


島津公爵家も。

ci.nii.ac.jp

 

非常に中身の濃い内容です。

旧華族が従来の収入源が減少していく可能性が見えてきてどのように動いたか

個人的にその内容をピックアップしてみました。

 

明治期を通じて吉川家の所有資産は質量ともに大幅な変遷を遂げた。

特に力を入れたのは株式投資であり、あわせて土地投資も重点的に行うという、二又投資を実現した。

また、吉川家における株式資金の調達は、1898年までは、公債・土地・貸金収入がなければ投資が成り立たない状態にあったが、1899年頃にそれまでの株式以外の資金に依存して投資を行う流れが大幅に後退して、株式からの収益を資本制部門へ再投資するという資金循環の流れが軌道に乗りはじめ、1902年に完成をみた。

このような結果からすれば、商人資本と同じく、華族資本にも内生的資金と外生的資金の分水嶺は存在し、しかもそれは従来想定されていた時期よりも早い段階から存在していたということになる。

 

細川家は金利生活者という側面をも確かにもつが、同時にそれにとどまらず、その利子を積極的に運用する資本としても登場していたのである。

免租継続・永小作権買収で明治20年大後半に細川家は地主として自らを確立させるが、収入基盤としては有価証券収入には及ばなかったと言えよう。

 

鍋島家の資産運用は、明治三十年前後を一つの画期として新たな編成変えを行っており、また農地所有から証券所有への重点の移行ということもみうけられる。

 

時代が大きく変化するなかで旧華族がいかに生き残っていったか

現代の私たちにも大いに参考になるのではないでしょうか。

現代版に書き換えれば

 

時代の変化に伴い将来の労働収入の増加が見込めないなか労働収入依存から株式配当収入への重点移行が必要であった。

**歳までは、労働収入がなければ投資が成り立たない状態にあったが、**歳頃にそれまでの労働収入に依存して投資を行う流れが大幅に後退して、株式からの収益を株式へ再投資するという資金循環の流れが軌道に乗りはじめ、**歳に完成をみた。

 

働き方改革、税額の増大、社会保険料負担の増大が生じている現代社会では、一刻も早くなるべく若いうちに1円でも、稼いだお金を株式投資に振り分ける必要があるといえるのかもしれません。

 

一言でいえばここに帰結しますね。

 

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個人的には長期に投資活動をするために

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